こんにちは。いよいよ酒づくりが佳境を迎える季節となり、今月は酒ミュージアムがある西宮市内の酒蔵で蔵開きイベントなども開催されます。蔵を訪れる方も多いと思いますので、今月は酒蔵についてご紹介します。
コロナ禍真っ只中の令和3年(2021)、辰馬本家酒造の史料を整理していたところ、は酒ミュージアムの酒蔵館として活用している、明治2年(1869)に建築された辰馬本家酒造旧本蔵の絵図が発見されました。他に見つかった史料から明治17年(1884)に描かれたものと考えられるこの絵図は、建築当時の灘の酒蔵の姿を知ることができる貴重な史料だと考えています。
それではこの絵図を詳しく見ていきましょう。旧本蔵の絵図とフロアマップでもご紹介している現在の酒蔵館の姿とを比べると、ずいぶん違っているように思われるかもしれません。それもそのはず、実は当時の酒蔵がそのまま現存しているわけではありません。絵図を赤色で囲った部分が、現在酒蔵館として活用している部分になります。他の部分はというと、太平洋戦争後の区画整理や道路の拡幅工事の影響で、敷地が削られ一部の建屋は移転・撤去され現存していません。
さて、この現存する赤色で囲った部分には、どのような機能が備わっていたのでしょうか。絵図とともに見つかった平面図を見てみましょう。ここには墨で「酒造倉庫」や「麹室」と書かれた部分のほか、朱書きで「搾場」「会所場」「洗場」「釜屋」等と書かれている部分があります。こうした記述から現存している部分で酒づくりが行われていたことがわかります。さらに詳しく見ると、「洗場」「釜屋」「麴室」「会所場」がある前蔵、2階建てで「搾場」がある大蔵からなり、東西に長い前蔵・大蔵が並列して建てられた「重ね蔵」構造が採られていたことがわかります。
この「重ね蔵」構造は、灘の酒蔵の特徴として知られています。これは北から吹く「六甲おろし」と呼ばれる冷たく乾いた風を大蔵で受け、太陽光を前蔵が遮ることで酒づくりに適した低温の環境を調えることができるためだとされています。辰馬本家酒造では、多くの酒蔵でこの「重ね蔵」構造が採用されており、明治中期以降に主力となった旧新田蔵酒蔵群(現在の辰馬本家酒造株式会社本社敷地)に至っては10棟の重ね蔵が連結する形式となっていました。
酒ミュージアム記念館酒資料室で現在開催中(~3月5日)の「変化する酒蔵建築」展では、今回ご紹介した旧本蔵絵図のほか、ともに発見された旧松店蔵絵図など、酒蔵の建築に関する史料を多数展示しています。精緻に描かれた酒蔵の絵図と現存する酒蔵を両方ご覧になれますので、蔵開きに出向かれるついでに当館へぜひお立ち寄りください。
それでは、来月も引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
酒米にも歴史ありやな。