こんにちは。まだ梅雨が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。関西では例年海の日辺りに梅雨明けとなり、季節が夏へと変わっていきます。酒トークでは海の日も近いことですし、前回に引き続き樽廻船についてご紹介していきます。
樽廻船の年間の稼働状況を見ると、偏りがあることに気づきます。どの季節に活発に稼働しているかと言うと、酒市場の動向などと関連して春・秋に増加する傾向にあります。江戸で酒の需要が伸びるのは、何と言っても寒い冬です。江戸での販売を担う下り酒問屋から上方酒造家へ宛てた書状の中には、気温が下がってくることを喜んでいるものもあります。逆に夏は気温が高く需要もそれほどでは無い上、酒が腐りやすく品質管理が難しいため低調です。また、12月ごろ「積限(つみきり)」と言って酒の輸送を終了し、翌年春の新酒番船(新酒を運ぶ樽廻船のレース、幕末期には主に2~3月に開催)までは酒を輸送しない慣習もあり、真冬の時期も樽廻船で酒を輸送することはほとんどありませんでした。
では、夏や冬に樽廻船は何をしていたのでしょうか。史料を見ると、酒以外の荷物を運んでいたことがわかります。主要な荷物は米でした。その米の主は幕府です。幕府は全国に散在する幕府領で取れた年貢米を江戸・大坂に集める必要がありましたが、幕府には大規模な輸送船がありません。そこで、当時もっとも頑丈で信頼感のある樽廻船にその業務を委託していたのです。西宮の酒造家・辰屋吉左衛門が所有する樽廻船も、遠くは佐渡国や越後国まで出向き、年貢米を輸送する業務に就いていました。このほか、大名たちの荷物を輸送する場合もあります。江戸時代の大名たちは、領国で取れた年貢米の多くを大坂や江戸へ輸送して貨幣に換える必要がありました。そのため、幕府同様に樽廻船に米を積み込み輸送していました。
こうした酒以外の荷物を運ぶ樽廻船側のメリットは運賃の高さにあります。通常酒を運ぶ際の運賃は低く抑えられています。と言うのも、この酒輸送の運賃は、上方酒造家が会議で決めているからです。そのため、樽廻船を経営する上で酒輸送だけではとうてい立ちゆきません。そこで、酒の輸送需要が少なくなる夏・冬に幕府・大名の荷物を比較的高い運賃で引き受けて、経営を安定させようとしていたのです。しかし、いかに当時最大級で頑丈な樽廻船と言えども木造船であることには変わりなく、慣れない航路で事故に見舞われることもしばしばあり、リスクを伴う副業でした。
樽廻船の経営や事故の事例などは、いずれまたご紹介できればと思います。それでは、暑い夏がやってきますが、体調に気を付けてお過ごしください。次回もよろしくお願いします。
これぞプロの仕事やな!