こんにちは。いよいよ夏本番となり暑い日が続いておりますが、皆様どうか体調には気を付けてください。さて、暑いつながりで、熱いといえば今年の夏はフランスで開催されているパリオリンピック・パラリンピックではないでしょうか。先月末から始まった今大会でも、メダルをかけた戦いは見ている我々の胸を熱くさせますね。ところで、パリと日本酒と言えば、以前にもご紹介したように万国博覧会でのつながりがあります。清酒白鹿は明治22年(1889)のパリ万博で金色のメダルを授与されています。今回は万博以外のパリと日本酒の関係についてご紹介していきます。
万博への出品後に、パリをはじめヨーロッパへの輸出自体が伸びた訳ではありません。やはり戦前における海外での日本酒の消費は、現地にいる日本人によるものでした。酒ミュージアムが所蔵する史料で、戦前にパリとの取引が見られるのは、在フランス日本大使館との取引です。
昭和11年(1936)の『輸出注文帳』からは、在フランス日本大使館から8月10日に黒松白鹿1ℓびん1ダース入りの箱6箱、つまり1ℓびん72本の注文があったことがわかります。この時の駐フランス大使であった佐藤尚武は昭和11年に辞任して帰国し、翌年からは林銑十郎内閣で外務大臣となった人物です。もしかすると離任のパーティーなどで黒松白鹿が提供されたのかも知れない等の想像が膨らみます。
さて、この黒松白鹿1ℓびん72本は、フランス大使館へ日本からどのようにして輸送されたのでしょうか。再び『輸出注文帳』を見ると、「筥崎丸積」「アントワープ経由」等と書かれています。「筥崎丸」は、日本郵船が所有する船で、ヨーロッパへの航路を担っていました。8月19日に黒松白鹿を積んで神戸港を出港した筥崎丸は、マラッカ海峡・インド洋・スエズ運河・地中海・ジブラルタル海峡を経てベルギーの港アントワープに到達して積荷を下します。そして、アントワープからパリへは鉄道で送られ、10月30日にフランス大使館に届きました。
今回は戦前に在フランス日本大使館から発注のあった清酒が、どのように届けられたのかをご紹介しました。赤道上など過酷な航路を通過し、到着まで2か月半程度かかるため、酒造会社には変質しない確かな品質が求められました。
それでは、現代の品質確かな日本酒を飲みながらパリオリンピック・パラリンピックに出場する選手を応援しましょう。来月もよろしくお願いします。
麹づくりは、酒づくりで1番大事なんやで!