こんにちは。前回は江戸下り酒問屋と上方酒造家の取引についてご紹介しました。続けて今回は江戸で花開いた飲酒文化についてご紹介します。特に江戸時代の錦絵などに描かれた酒器に注目して見て行きましょう。
この「当世娘評判記」という錦絵には、酒器が3点描かれています。まず右の女性の前に描かれているのは徳利です。徳利は現代ではお馴染みの酒器ですが、普及し始めたのはいつ頃からでしょうか。江戸時代後期(天保8年以降に書かれた)の『守貞謾稿』には、「(前略)江戸近年式正にのみ銚子を用ひ略には燗徳利を用ふ、燗して其儘宴席に出すを専とす。此陶形近年の製にて口を大にして大徳利より移し易きに備り、銅鉄器を用ひざる故に美味也(後略)」(江戸では近年正式な場のみ銚子を使用し、略式では燗徳利を使っている。熱燗にしてそのまま宴席に出すことが多い。この形状は最近造られたもので口が大きく移しやすい、銅・鉄器を使わないので美味である)とあります。この様に、江戸では『守貞謾稿』に書かれた江戸時代後期頃には一般的に陶磁器製の徳利が使用されていたことがわかります。また、描かれている徳利のように口の広い徳利が便利と考えられていたようです。
次に中央の女性の手前に描かれている盃洗と、その中に浮かぶ盃を見てみましょう。盃洗とは、文字の通りに盃を洗うための鉢状の容器を指します。ここに水を張っておき、自分の使用した盃を盃洗で洗い、別の人に渡すために使用されます。盃洗の用途はこれだけでなく、『寛天見聞記』には「盃あらひとて丼に水を入猪口数多浮めて詠め楽しみ」という一節があります。下の画像のように盃洗に色絵の鮮やかな猪口を浮かべて楽しむといった用途もあったようです。
盃はというと、これも『守貞謾稿』には、「盃も近年は塗盃を用ふこと稀にて磁器を専用とす、(中略)磁盃三都とも「ちよく」と云猪口也、三都とも式正塗盃略には猪口式正にも初塗杯後猪口を用ふこと銚子に准ず(後略)」(盃も最近は漆器の盃を使うのは珍しく、磁器がほとんどである。(中略)磁器の盃は江戸・京都・大坂では猪口(ちょく)と言う。三都とも正式な場では初めは漆器で後から猪口を使う)とあります。このように、江戸時代後期には磁器製の猪口が江戸・京都・大坂といった主要都市では一般的に使用されていたようです。
今回は、江戸時代後期の錦絵に描かれた徳利・盃洗・盃(猪口)についてご紹介しました。現代ではガラス製の細工の細やかな酒器なども登場し、より風流な形で酒を楽しむこともできると思います。是非皆様も江戸時代の人々の精神を真似て、酒器で酒を楽しんでみてください。
目に見えなくても大事な物ってあるんやね