こんにちは。今年は異例の速さで梅雨が明けてしまいすっかり夏模様となりました。かつては梅雨が明けると樽の材料である木材を酒蔵に入荷していたと言います。そこで、今回の酒トークでは酒樽についてご紹介します。
酒樽の材料には杉の木が使用されています。特に西宮を含む上方では、奈良県の吉野杉が使用されてきました。吉野で切り倒された杉は現地で樽材に加工されています。最終的には樽材をひとまとめにした樽丸という形で、上方の酒蔵に出荷されて来ました。
また、一口に樽材と言っても木の部位によって違いがあります。杉材は断面を見ると、外側は白く、中心に近い部分は赤味があります。この白味と赤味の両方を含む部位が樽材として最も好まれ、甲付と呼ばれています。この甲付は、1本の杉から取れる数が限られるため希少で、酒ミュージアムに残る史料を見ても甲付材は他の部位と比べて高値で取引されていることがわかります。丹精込めて造った酒には、最高の材でこしらえた樽を用意しようという、酒造家の品質に対するこだわりが感じられます。
吉野で樽丸に整えられた樽材は、酒蔵に納品されると前庭などにうず高く積み上げて夏の日差しの下で乾燥させていました。万一乾燥が不十分であった場合、樽を製作した後に乾燥が進んで隙間ができてしまうため、この様な作業が行われていたと考えられます。
こうして材料が調うと、いよいよ樽づくりが始まります。江戸時代後期には上方から毎年数十万~百万樽余が江戸へ向けて出荷されており、上方の樽職人たちも多忙を極めていたと考えられます。江戸時代から酒造家が樽づくりの部門を持っている場合もありましたが、それでも数は足らずに製樽業者から購入することも少なくありませんでした。樽の旺盛な需要は明治時代に入っても続いていきます。ちなみに、消費地の江戸では酒の空き樽は回収され、千葉方面の醤油蔵に販売されていたようです。
清酒が造られ始めた江戸時代初期より酒の容器として長らく頂点に君臨してきた樽でしたが、清酒用のびんが明治30年代に登場すると、徐々にその地位を脅かされるようになります。大正15年(1926)の西宮酒樽製造業組合の決議録には「近来壜詰酒の普及と古樽を酒類販売業者の使用に因り、吾々製樽業者を脅威シ此儘傍観せば逐次業界之衰微を見るは明かなるに因り・・・」とあります。このように大正末年には製樽業者が強い危機感を抱いており、実際に酒の容器の歴史はびんが主役の時代へと転換していくことになります。
現在酒樽はお祝い事ぐらいでしかお目にかかれない珍しい存在となってしまいました。一方で手軽に樽酒を楽しめるようにと、杉樽の香りを移した商品も色々なメーカーから発売されています。杉の独特の風味をまとう清酒を味わいながら、酒容器の歴史に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
良い酒には良い酒器を!