こんにちは。まだまだ暑い日はありますが、秋を感じる日も増えてきましたね。秋と言えば酒造りが始まるシーズンで、日ごろから日本酒を愛して止まない酒トークをご覧の皆様は、早くもどの銘柄で一杯やろう等と気もそぞろかもしれません。さて、今回ご紹介したいのは銘柄の歴史になります。江戸時代には銘柄のことを酒の「印」と呼び、上方で造られた多種多様な印の酒を江戸の下り酒問屋が仲買・小売りと通して江戸市中に販売していました。
写真は、西宮の酒造家辰屋吉左衛門が江戸へ送っていた酒の印です。メインにしていたのは、白鹿印です。写真では2種類の白鹿印をご紹介しています。ここで注目したいのは白鹿の「白」という文字で、字体が違っているのがわかります。なぜこのような違いがあるのでしょうか。実は、この2種類の白鹿印はそれぞれ取り扱う江戸の下り酒問屋が異なります。一般的な字体の「白」は鹿島屋利右衛門へ、崩した「白」は小西利右衛門へ送られていました。このほか、千代倉宗兵衛にはあゝ嬉、高橋門兵衛にはあゝ嬉や辰泉が送られる等、問屋ごとに酒の印を棲み分けていました。これは辰屋に限ったことではなく、当時の酒造家は取引する問屋ごとに酒の印を保有し、それぞれにこだわりのデザインを施していました。
それでは、こういった酒の印に関係する史料として、下り酒問屋鹿島屋庄助から辰屋吉左衛門に宛てた書状を見てみましょう。鹿島屋庄助は辰屋の酒に新たな酒の印である「豊年」印を付けて売り出すことにしました。書状にはまず、「御新印〔豊年印〕目出度無事初入津仕、早速打寄唎酒仕候所結講奉存候」とあり、新しい「豊年」という印をつけた酒樽が江戸に初めて到着し、早速唎酒を行ったところいい出来であったと記しています。さらに続けて「御印之儀も上ひんニ而賑成印ニ而可有奉存候」とあり、「豊年」印のデザインを上品であると褒めています。しかし、「併今少ゝ「年」太字ニ御附被下候而者如何可有之候哉」と、豊という文字を丸く包む「年」を崩した文字を、もう少し太くしてはどうかと提案しています。その理由として「細字之方上ひんニ者御座候へ共、少々さびしき様ニ茂奉存右申上候、」とあり、細字は上品であるが、少し淋しいと述べています。
最終的に、この書状を受けてデザインを変更したかどうかは史料から明らかにはできませんが、遠く離れた上方の酒造家と江戸の下り酒問屋が意見を交わしながら、酒の印を作り上げていく様子がよくわかります。
銘柄ひとつをとってもいろいろと歴史があるものですね。まだまだ明らかになっていないことも多いので、いい史料が出てきましたら、またこちらでご紹介したいと思います。来月も引き続きよろしくお願いします。
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