こんにちは。早いもので今年も師走となりました。先月中旬から一気に季節が進み、日本酒の季節がやってきましたね。今年の冬、数多ある日本酒の中から皆様はどの酒蔵のどんな商品を選ばれるでしょうか。12月6日より酒ミュージアム酒資料室では「お酒とメディア」と題して、酒造会社が消費者に選ばれるために展開した広告宣伝活動の歴史をご紹介する予定です。今回の酒トークでは、広告宣伝手法の1つである看板に注目し、展示に先駆けてご紹介します。
酒屋の看板の中でも一般的な写真の欅一枚板の看板には、中央に銘柄その周囲には宣伝文句が配置され、菰樽のデザインを模したものと考えられます。看板と菰のデザインで異なるのは、生産者と販売者の情報が記されているところです。写真は右に白鹿醸造元として「大日本摂津西宮辰馬本家別精醸」、左に販売元として「東京府南茅場町小西利右衛門捌」の記載があります。このことからこの看板は、江戸時代以来、辰馬本家酒造の白鹿印を東京で販売していた下り酒問屋の小西利右衛門店に設置されていたということがわかります。
このような銘柄入りの欅看板は基本的に酒造家が用意して販売店に送ります。愛知県豊橋市の酒問屋川清商店から辰馬本家酒造宛てに送られた史料を見てみましょう。ここには「得意先ニテ白鹿看板懇望之店有之候間、左之通至急御調製御送達之程奉願上候」とあり、川清商店の得意先である小売店杉田八五郎・古田庄太郎より図示された形式の白鹿看板を設置したいという要望を受けている旨が記されています。こうした看板の要望は全国の酒問屋から寄せられていました。同じく東海地方で白鹿の販売を担っていた中埜支店からの書状では、「白鹿看板請求多く困入候何卒ボール看板ニ而も宜敷候間、弐・三十枚申受度」とあり、この際看板の材質にはこだわらないので製作して欲しいという切迫した状況が伝えられています。
看板自体も明治時代に変化していきます。欅板に墨書や文字を彫って黒漆を塗る技法だけでなく、木製看板にペンキで着色した物や、素材も薄鉄板・トタン製・琺瑯(ホーロー)製の看板などが登場し、店頭以外にも人が多く集まる場所へ掲出されるようになります。また、サイズも大きな物が登場し、昭和11年(1936)に名古屋市内に設置された写真の看板は、長さ約21m・高さ約2.7mという大きさでした。 看板は古来より有効な広告宣伝手法として知られ、現在でも町でユニークな看板に目を奪われることがあります。今後も看板がどのように発展するのか楽しみですね。次回も酒資料室展示「お酒とメディア」に関連して、チラシや引札についてご紹介します。引き続きよろしくお願いします。
江戸時代は米の時代やね。