こんにちは。酒トークをご覧の皆様は美味しいお酒で年明けを迎えられたのではないでしょうか。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。今月は酒資料室「お酒とメディア」に関連して、看板に続いて引札とチラシについてご紹介していきます。
江戸時代にチラシは、「引札(ひきふだ)」と呼ばれていました。当初は黒一色でしたが、江戸時代後期になると木版多色摺りの引札も製作されるようになります。画像は明治期の引札で、右手前に恵比寿、右奥に大黒天、その奥に福助を描いて商売繁盛を連想させ、中央手前には酒好きで知られる猩々(しょうじょう)が菰樽を持ち上げている姿を描いて、全体として酒の販売が上手くいくように願った図柄となっています。
続いて「酒類醤油各国銘酒売捌所」と記された引札を見てみましょう。これは武州忍町行田(現在の埼玉県行田市)で酒の販売を行っていた江州屋平右衛門が明治25年(1892)に製作した物で、白鹿をはじめ上方産酒銘柄の菰樽が描かれています。江戸時代には江戸市中で消費されていたはずの上方産酒が、明治中期には埼玉県域で販売されていることがわかるという意味でも興味深いのですが、今回注目したいのはこの引札の中央部分にある暦(カレンダー)です。明治26年(1893)の新旧略暦が掲載されていることから、明治25年歳末に配布されていた物と考えられます。また、旧暦(太陰太陽暦)が大きく掲載されていることから、明治6年(1873)から新暦(太陽暦)に移行して20年経過した当時も未だ旧暦が広く使用されていたことが想像できます。このように引札の中に暦を掲載する理由は、受け取り手が簡単にこの引札を捨てないための工夫と考えられています。
大正・昭和になると木版摺りの引札は減少し、呼び名も次第にチラシへと変わっていきます。酒ミュージアムには昭和初期以降のチラシが多数収蔵されています。例えば「冷やして飲む夏の御酒 生酒白鹿」のチラシには従来の酒とは異なる生酒の魅力が説明されています。他にも販売店の工夫として、伊勢の小川酒店は「白鹿景品付大売出し」として抽選券配布と景品内容を掲載し、東京の荒井商店は伊豆・箱根の温泉へ招待する特典付きであることを掲載する等して、得意先や消費者の購買意欲を掻き立てようと工夫を凝らしています。
今回は引札とチラシについてご紹介しました。いかにして手に取ってもらうかを、デザインの他に暦を載せるなど工夫していた点は、現在のチラシ製作とも共通しているように思います。ちなみに各所で配布している酒資料室「お酒とメディア」のチラシには、割引券を付けているので、見かけたらぜひ手に取ってみてください。それでは来月もよろしくお願いします。
海のことは任せたで!