こんにちは。今年は暖冬で2月になってもあまり寒くなりませんね。西宮で2月と言えば市内の酒造会社が持ち回りで開催する蔵開きです。蔵開きに合わせて酒ミュージアムへもぜひぜひお越し頂き、酒資料室「お酒とメディア」をご覧頂ければと思います。さて、今回は看板、引札・チラシ、に続いてポスターをご紹介します。
明治時代以降、看板の設置や引札・チラシの配布に加え、新聞への掲載など商品等の広告宣伝手法は多様化し、ポスター掲示も有効な手段となっていきます。ヨーロッパで始まったポスターが日本で本格的に取り扱われるようになるのは、明治20年代後半と言われています。日本のポスターの図柄には着物の美しい女性が選ばれ「美人画ポスター」と呼ばれていました。美人画をポスターの図柄に初めて使用したのは山梨県甲府市の水晶販売店とされ、その後三越呉服店が製作した美人画ポスターの登場により、ポスター図柄における美人画の使用が主流となっていきます。酒造会社のポスターを見ても、やはり画像のように着物姿の女性が大きく描かれ、肝心の商品自体はあまり描かれていません。尚、ポスターという語が日本で定着するのは、大正9年(1920)ごろとされ、それ以前の史料を見ると「美人画看板」などと表記されていました。
こうした美人画ポスターは、どのような場所に設置されていたのでしょうか。昭和初期の広告指南書には、多人数の集合する電車・自動車の停車場の待合室、浴場、劇場、活動写真館(映画館)、理髪店、旅館などに設置すると効果的であるとしています。いずれも室内で場合によっては額に入れて設置されていました。
ポスターの製作は印刷会社に発注するのが一般的ですが、酒造会社では、びん・樽に貼るレッテル(ラベル)のほか、びんの包装紙、チラシなど多数の印刷物を必要とするため、自ら印刷所を構えてこれらの印刷物とともにポスターを製作する会社もありました。西宮の辰馬本家酒造では、明治39年(1906)に阪神西宮駅付近に恵美寿印刷所を開設して、石版印刷技術を使ってこれらの印刷を行っていました。その後大正末年に恵美寿印刷所は廃業し、ポスター製作はオフセット印刷の会社へと引き継がれて行きます。
ここまで看板、引札・チラシ、ポスターと3回にわたって酒造会社の広告宣伝手法についてご紹介してきました。酒資料室「お酒とメディア」展では、この他にも多様な手法をご紹介しているので、展示もぜひご覧ください。それでは来月もどうぞよろしくお願い申し上げます。
工夫して便利になっていくんやな。