こんにちは。残暑厳しい日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。9月と言えばそろそろ「ひやおろし」の季節です。日本酒を楽しみながら乗り切って頂ければと思います。さて、今回の酒トークは、9月11日から再開する酒資料室「西宮・今津の酒造家オールスター」展に合わせて、清酒白鹿醸造元である辰馬本家の13代目当主、辰馬吉左衛門の襲名披露を東京で開催した際の様子についてご紹介します。
13代辰馬吉左衛門が辰馬本家を相続したのは、明治30年(1897)のことでした。その後、明治34年(1901)に当時主力取引先であった東京の酒問屋たちを集めて、吉左衛門の名を襲名したことをお披露目する宴を開催します。会場となったのは、東京の墨田川に面した料亭八百松楼(現在の東京都墨田区吾妻橋)という、明治18年(1885)に出版された『酒客必携割烹店通誌』の中で、屋楼(建物の広さ)・宴席の風致(景観)・接待・価格の4部門で10等以内に入る有名な料亭でした。この店を6月4日~7日の4日間貸し切り、豪華な料理に芸妓、余興として演芸も行われ、得意先や関係者など400名を超える参加者を迎えて盛会となりました。
この時参加した取引先からは、後日様々な祝いの品が贈られています。例えば東京酒問屋三橋甚四郎と松田音二郎の両名からは銀製白鹿置物が贈られたという史料が遺っています。そして、この作品自体は現在酒ミュージアムが所蔵しています。鹿の像を贈られた吉左衛門は大変喜び、「永久之を記念と仰き、末代に傳與(伝与)し、併せて後来御尊名を忘却せさるの記憶とも可相成御品と一同相悦居候」と記した返書を三橋・松田宛てに送っています。
この吉左衛門の襲名披露は、白鹿という銘柄披露も兼ねていました。案内状には「本年よりは一層原料を選擢し醸庫中の逸品ハ都(すべ)て白鹿印の商標を附し」と書かれています。実はこれは吉左衛門の販売戦略で、これまで取引のある酒問屋ごとに商標が分かれていた物を、これからは白鹿に集中させていきますという意思表示でした。そのため、そのことが受け入れられて鹿の像を送られたと感じた吉左衛門は大変喜んだのでした。 今回は13代辰馬吉左衛門襲名披露の様子をご紹介しました。13代はこの後、酒造業で会社を大きくしただけでなく、汽船会社等事業の多角化にも取り組みました。展示では事業以外の業績についてもご紹介しておりますので、11月18日までの会期中にぜひ展示をご覧になってください。
目に見えなくても大事な物ってあるんやね