こんにちは。11月23日に日本遺産関連イベントとして、江戸時代に上方から江戸へ樽廻船で清酒を運んでいた歴史を再現するイベント「Revival Legendary Kudarizake」が開催されました。23日に神戸港で樽を積み込んだヨットは、5日後の28日に無事東京湾に到着しました。江戸時代の樽廻船の活躍を見事に再現して運ばれた酒の味は、まさに美酒であったことでしょう。樽廻船の活躍が再現されたのを記念して、今回は樽廻船についてご紹介いたします。
江戸時代、酒ミュージアムのある西宮を含む上方で製造された清酒のほとんどは、樽廻船で運ばれて江戸で消費されていました。清酒の容器は杉樽で、容量は4斗(2ℓのペットボトルを最大36本分)入りで、重さは80㎏を超えます。こうした大きくて重たい酒樽を大量に江戸へ運ぶためには、どうすればいいでしょうか。現在のように自動車や鉄道が無い江戸時代、陸路であれば馬に担がせるところですが、重量がある大量の酒樽を江戸まで運ぶのには限界があります。そこで、江戸時代前期に船による海上輸送が始まりました。当初は、木綿・油・酢・醤油等といった酒以外の荷物と共に菱垣廻船で江戸へ運ばれていましたが、いろいろな問題が生じ、享保15年(1730)からは酒樽だけを専門に運ぶ船が登場します。この船こそが樽廻船です。
志摩国的矢では天候・風向きの影響で、数日滞船したり出航後再入港を行うなどして日数がかかり、3月10日にようやく江戸湾に到着しました。
それでは、江戸時代末期の樽廻船の航海の様子を見てみましょう。まず、酒蔵で製造された清酒は、大坂・西宮の樽廻船問屋によって船に積み込まれます。当時国内最大級の大型船であった樽廻船には約3000もの酒樽が積み込まれ、大坂湾を出発します。紀伊半島熊野灘といった難所を通過し、志摩国(現在の三重県)に到着すると、そこから一気に伊豆半島を目指します。その後江戸湾に入る前に、相模国(現在の神奈川県)浦賀の番所で積荷の検査を受け、江戸湾品川沖まで進みます。そこからは小型船に酒樽を積み替え、江戸市中に酒樽を供給する商人、下り酒問屋たちが集まる新川(現在の東京都中央区臨海部)を目指します。 江戸時代末期、元治元年(1864)の記録によれば、当時78艘の樽廻船が運航していました。こうした樽廻船は年間5回程度上方から江戸へ酒樽を運び、江戸の人々の喉を潤していました。上方の酒造りの発展は、遠く離れた江戸への流通を担った樽廻船の活躍なしには語ることができません。樽廻船も今後あらゆる角度でご紹介いたします。それでは皆様良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
江戸時代の手紙から色々わかるんやで