こんにちは。前回は江戸時代の酒癖をご紹介いたしました。西宮を含め上方の酒は江戸での評判が良く、たくさんの人々を酔わせていたことと思います。今回は江戸と上方という遠距離の取引が、どのように行われていたのかを見ていきたいと思います。
グローバル社会と言われて久しい現代では、パソコンやスマートフォンを使って簡単に世界中と交流を持ったり、取引を行ったりすることができます。しかし、江戸時代の遠隔地間の通信手段は基本的に手紙(書状)のやり取りに限られています。ここからは、江戸下り酒問屋と上方酒造家が取引上どのような手紙のやり取りを行っていたのかについて、酒ミュージアムが所蔵する古文書から見ていきましょう。
樽廻船で大坂・西宮から江戸新川の下り酒問屋のもとへ酒樽が到着すると、下り酒問屋は入船覚(にゅうせんおぼえ)という手紙を上方の酒造家に送りました。この入船覚は、到着日・銘柄名・到着した量(太数)・樽廻船の情報を列記したものです。写真でご紹介している入船覚を見ると、4艘分の情報がまとめて記されており、この内一番右には、11月17日に白鹿印の酒30駄(60樽)が樽廻船問屋小西家に所属する船(船頭順之助)に積まれて到着したことが記されています。
入船覚に続いて送るのは売附覚(うりつけおぼえ)という手紙です。ここには入船覚同様の情報が記されていますが、2点大きく異なる点があります。まず1つ目の違いは、売附覚には1年分の入船記録が全て記載されているところです。年間数千樽を扱う下り酒問屋からの売附覚は数十箇条にも及ぶため、数メートルに及ぶ横に長い売附覚が作成されています。もう1つの違いは、販売価格が記されているところです。10駄(=20樽)あたり金何両で販売されたのかが記されています。年間の価格の推移をこの史料から知ることができます。
最後に送るのが仕切状(しきりじょう)です。仕切状には、まず年間に販売した数量と売上金額が記載され、そこから、下り酒問屋の取り分である「蔵敷・口銭」(販売手数料)や、下り銀(流通上の必要経費)を差し引き、実際に上方の酒造家へ送金する金額が記載されます。更に、支払いをいつどのように行ったのかも合わせて記されています。
江戸時代の酒の取引は、基本的には入船覚・売附覚・仕切状の3種類の手紙によって行われていました。これらを分析すると、江戸に出荷される季節に偏りがあることや価格の変動等、具体的な江戸時代の酒取引の様子が見えてきます。今後分析が進みましたら酒トークでもご紹介しますので、楽しみにお待ち頂ければと思います。 それでは、来月も引き続きよろしくお願い申し上げます。
こんなにしっかり描かれたのを見たのは初めてや!