こんにちは。大阪関西万博もいよいよ今月13日までとなりました。皆様はもう行かれたでしょうか。さて、今回の酒トークでは万博と日本酒の関係についてご紹介します。
まずは万博について整理しましょう。嘉永4年(1851)イギリスのロンドンで初の万博が開かれて以降、嘉永6年(1853)にニューヨーク、安政2年(1855)にパリ、文久2年(1862)にロンドンと、欧米で立て続けに開催されました。文久2年の第2回ロンドン万博には初めて日本人が参加し、続く慶応3年(1867)の第2回パリ万博には、日本から幕府・薩摩藩・佐賀藩が出展を果たしています。

明治6年(1873)にオーストリアで開催されたウィーン万博には、明治維新後の日本政府が初めて出展し、日本酒が出品されたのもこのウィーン万博で初めてと考えられます。実は以前の酒トークでは、明治11年(1878)の第3回パリ万博で清酒が初めて出品されたとしていました。これは、ウィーン万博の次に開催された、明治9年(1876)のアメリカ・フィラデルフィア万博には、日本酒の出品は確認できなかったためです(日本産の洋酒等は出品されています)。しかし、ここまで述べたように、現在開催中の「世界のみなさんこんにちは 日本酒と博覧会」展に合わせて改めて調べなおしたところ、明治6年(1873)のウィーン万博で出品されていたことがわかりました。

さらに、このウィーン万博に出品された日本酒の産地は、酒ミュージアムのある西宮の酒蔵のものであることも判明しました。この時の状況について『灘酒沿革誌』には、多くの酒造家がヨーロッパまでの長距離輸送の間に酒が腐ることを懸念して二の足を踏んでいた様子が記されています。しかし、仕込の際の水の量を少なくして上等の樽を用い、加熱殺菌を行えば輸送時の腐敗は克服できると話した酒造家がおり、その通りに製造して見事に出品を果たしたことが記されています。この出品された酒は西宮の酒造家和泉萬介(現存していません)が醸造した「いろ盛」印の日本酒でした。ウィーン万博での「いろ盛」の評判は伝わっていませんが、賞牌(メダル)が授与されていたようです。
ちなみに、焼酎の万博デビューは日本酒よりも早く、前述の幕府・薩摩藩・佐賀藩が参加した慶応3年(1867)の第2回パリ万博でした。この時会場には日本風の水茶屋が設けられ、その中で焼酎・味醂(当時はよく飲まれていました)・本直し(柳陰とも呼ばれ、味醂のもろみに焼酎を加えて造る甘い酒)が提供されていたとみられます。

今回は万博と日本酒の関係についてご紹介しました。大阪万博にお立ち寄りの前後にぜひ酒ミュージアムの博覧会展示もご覧ください。それでは来月もどうぞよろしくお願い申し上げます。
樽廻船の乗組員も命がけやったんやね。