昭和の名建築 白鹿館

2026.03.01

 こんにちは。早いものでこの酒トークも今回で6年目に突入しました。これからも引き続き楽しんで頂ければと思います。今回は、辰馬本家酒造株式会社が昭和5年(1930)に建設した、冷凍設備を持つ醸造工場とびん詰工場機能を併せ持つ旧白鹿館についてご紹介します。

 近代以降の辰馬本家酒造は、西宮を中心に木造蔵を多数建設し、次第に造石高を増加させていました。また、明治40年(1907)頃から灘地域でも次第にびん詰酒の製造が始まり、昭和にかけていよいよ需要が高まると、近代的な設備の整った醸造・びん詰め工場の建設が必要となりました。そこで、昭和4年(1929)6月16日、竹中工務店により白鹿館の建設工事が始まりました。

建設途中の白鹿館 手前のアーチ型鉄骨部分がびん詰工場、奥が醸造工場

 大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災は酒造業界にも大きな影響を与え、堅牢な鉄筋コンクリート造の酒蔵が建てられるようになります。先鞭をつけたのは伏見の月桂冠株式会社で、昭和2年(1927)国内初の鉄筋コンクリート造の昭和蔵を建設しています。こうした流れの中で、辰馬本家酒造も鉄筋コンクリート造の白鹿館の建設に踏み切ったのでした。

 昭和4年(1929)11月には醸造工場、翌昭和5年(1930)5月にはびん詰工場が完成しました。醸造工場の特徴は、冷凍設備を備えていたことです。この設備によって、これまで製造できなかった「冷やして飲む生酒」の製造が可能となり、昭和10年(1935)頃から販売が開始されます。しかし、当時家庭用冷蔵庫が普及しておらず、保存が難しかったため販売数を伸ばすことはできませんでした。

びん詰工場内部 アーチ構造により柱のない広大な空間にびん詰ラインが設置されました。

 一方で、びん詰工場の特徴はその建築自体にありました。当時のびん詰ラインは直線であったため、柱の少ない広大なスペースを必要としていました。しかし、関東大震災のような災害に備えて耐震性を考えると、柱は必要となります。これを克服したのが竹中工務店による設計でした。白鹿館びん詰工場では屋根をアーチ状にすることで耐震強度を維持しつつ、広大なスペースを確保することに成功しました。

白鹿館落成時の様子

 こうして完成した白鹿館は、新進気鋭の酒造工場としてスタートし、辰馬本家酒造が特約店を招いたツアーなどでも披露されました。戦時中焼夷弾の直撃を受けるも奇跡的に火災を免れ、戦後も辰馬本家酒造の主力として稼働し、名建築として多くの人々に愛されました。しかし、老朽化には勝てず平成22年(2010)7月に稼働を終え、平成23年(2011)惜しまれつつも解体されました。酒ミュージアム酒蔵館では、模型や鉄骨の一部などを展示しているので、往時の名建築を感じにぜひご来館ください。来月は明治時代の大規模木造蔵新田蔵をご紹介します。6年目もよろしくお願いします!

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