こんにちは。今年の夏も暑い日が続いていますが、皆さんお元気でしょうか。実りの秋を迎えるまで夏を楽しみつつ、乗り越えていきましょう。現在酒ミュージアムでは、酒資料室にて「酒づくりのスタート 精米」展を開催しております。展示室内では昨年夏に続き、簡単なクイズもご用意しておりますので、夏休みに遊びに来て頂ければと思います。今月の酒トークでも、展示に関連して精米をテーマにお届けします。
酒づくりに使用する酒米については以前にご紹介しました。この酒米を使って酒づくりをするのですが、最初の工程として玄米を白米にする作業があります。これが、精米と呼ばれる工程です。この工程は江戸時代から行われています。江戸時代後期に描かれた『摂津名所図会』には、伊丹の酒蔵の様子が描かれています。その中には、当時主流であった足踏精米をする人々の様子も描かれています。ちなみに、当時は「精米」という用語は無く、精米することを「踏米(ふみまい)」と呼んでいます。このことからも、全国的には足踏での精米が一般的であったことが窺えます。
さて、江戸時代の精米方法として、もう1つ有名な方法が水車精米です。水車精米は、江戸時代後期に灘(神戸市東部)で普及し始め、やがて酒ミュージアムの近くを流れる西宮の夙川でも行われるようになりました。水車精米の利点は、川のエネルギーを使うため、足踏精米に比べて、たくさんの米を精米できる点にあります。明治21年(1888)の史料には、1つの水車精米場に200個を超える臼が設置されていた記録もあり、効率的であったことは間違いありません。
それでは、水車精米を行った記録を見てみましょう。写真の史料には、鳥居米(とりいまい)と呼ばれる米53石9斗を水車で精米し、39石3斗4升5合の白米を得たことがわかります。この数字を計算すると、約72%の精米歩合となります。しかし、実際には臼に入った米を力強く杵が搗くため、米が割れてしまう場合も多く、実際には90%程度の精米歩合に止まっていたと考えられています。
こうした水車精米は、明治時代になっても引き続き行われていきますが、より高度な精米技術も導入されていきます。次回の酒トークでは、近代の精米についてご紹介しますので来月もよろしくお願いします。
樽廻船の乗組員も命がけやったんやね。