酒トークをご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。新年1本目のコラムは景気の良い話をということで、年々成長している清酒の海外輸出の歴史をご紹介します。
そもそも清酒はいつから海外に輸出されていったのでしょうか。その契機と考えられているのは、明治時代に西欧で行われていた万国博覧会(万博)です。明治11年(1878)の第3回パリ万博で清酒は初めて出品されました。そこでの評価はいま一つでほろ苦いデビューとなりましたが、続く明治22年(1889)第4回パリ万博・明治26年(1893)シカゴ万博と、世界に清酒の存在を知ってもらおうと、参加する酒蔵が次第に増加していきました。
明治中期にはこうした西欧への博覧会出品とは別に、近隣諸国への輸出も始められました。酒ミュージアムに残る史料からは、辰馬本家酒造が明治22年にシンガポール・ウラジオストック・バンクーバー・天津に見本品を送ったことがわかります。本格的な輸出の開始は、明治28年(1895)の台湾向けが始まりです。日清戦争後、台湾には多くの日本人が移り住み清酒需要が生まれました。このほか、少数ですがオーストラリアの東に浮かぶフランス領ニューカレドニアにも、鉱山で働く日本人に向けたと思われる輸出の記録が残っています。こうした日本人移民向けの輸出については、北米向けの輸出が大正初年から行われ、カナダ・バンクーバー向けの輸出についても史料が残されています。また、アメリカへの輸出も昭和8年(1933)に禁酒法が撤廃されると、ワシントン州シアトルや周辺都市にある日系移民社会で雑貨商をしていた古屋商店へ向けての輸出が行われていました。しかし、太平洋戦争によりこうした清酒輸出は途絶え、敗戦により台湾や中国大陸にあった清酒販売拠点は全て喪失してしまします。
戦後の輸出も当初は日本人移民や外遊する人向けでしたが、海外での和食に対する関心の高まりと共に、新たな需要が生まれていきました。昭和後期には、大手酒造会社で初めて大関株式会社がアメリカで生産を開始するなど、日本の酒蔵による海外での現地生産も開始され、質の高い清酒を海外で提供する挑戦が始まりました。更に近年では外国人による小規模の清酒生産をする事例も増加しつつあります。
本日ご紹介した清酒海外輸出の歴史は、現在記念館酒資料室で「酒からSAKEへ」という展示でもご紹介しておりますので、実物史料を見に是非ご来館くださいませ。
それでは、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
大事な道具たちを紹介するで!