宮水の需要

2022.02.01

 こんにちは。2022年が始まって早くもひと月が経ちました。引き続き酒づくりのシーズンらしい寒さが続いていますね。今回は西宮や灘の美味しい酒をつくるのに欠かすことができない宮水についてご紹介いたします。

 西宮の一部地域からしか採れない宮水は、江戸時代の終わり頃である天保11年(1840)に魚崎郷(現:神戸市東灘区)の酒造家山邑太左衛門が初めて酒づくりに適していることに気が付いたと考えられています。(同じく魚崎郷の雀部市郎右衛門という説もあります。)西宮・魚崎にそれぞれ酒蔵を持っていた山邑太左衛門が魚崎郷まで宮水を運んで酒づくりを行ったところ、魚崎でも質の高い酒をつくることができたため、宮水が酒づくりに適していることが確認できたと言われています。これ以降、西宮以外の灘の酒造家も競って宮水を使った酒づくりを行うようになりました。

はねつるべを使って宮水をくみ上げている様子

 灘の酒蔵の中には、宮水を使っての酒造り自体を宣伝に利用する酒蔵もありました。西宮市立図書館が所蔵する「酒菰樽焼印雛型集」からその様子を窺い知ることができます。この史料は、酒樽に巻く菰に捺す焼印のデザイン見本を集めたものです。ここには山邑太左衛門による宮水の酒造適正発見以降、天保・弘化・嘉永といった時期に、御影・東明(現:神戸市東灘区)・新在家(現:神戸市灘区)の酒造家がそれぞれ「西宮水吟造」、「以宮水製之」、「改西宮水製」といった焼印を造っていたことが記されています。つまり、これらの酒造家は、宮水を使っていることを菰に表現し、材料にこだわっていることを示して、販売先である江戸での商品価値を高めようとしていたと考えられます。

 この他、宮水の需要の高まりは水屋という新たな業者も生み出しました。水屋とは、井戸から宮水をくみ上げて販売する業者で、明治43年(1910)に刊行された『阪神名鑑』には「酒造用水業之部」という項目が立ち、10件もの業者が掲載されています。このことは明治になっても宮水の需要が旺盛であったことを物語っています。

明治43年(1910)刊行の『阪神名鑑』

 酒ミュージアムには、酒蔵館の前庭に「はねつるべ」という井戸水を汲むために使う道具を展示しています。この道具は、前後の縄を交互に引くことで井戸の中に桶を下ろしたり、水が入った桶を引き上げたりして使われていました。この他大八車を使って水樽を運ぶ様子を再現しています。江戸時代以降今なお西宮や灘の酒の質を支える宮水のことを、当館や宮水井戸場をめぐって知って頂ければと思います。

酒ミュージアム酒蔵館の水樽を運ぶために敷設された板石道の展示

 それでは来月もどうぞよろしくお願いします。

酒くん

酒造りの奥深さを、存分にお伝えするで。

桜子ちゃん

お酒にも、桜と同じように人に愛されてきた歴史があるのね。