こんにちは。酒トークも3月8日で一周年となります。これからも引き続き清酒に関る様々なテーマでご紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。さて、一周年を迎えた今回は、清酒の原材料である酒米についてご紹介します。
今日スーパーなどでお米売り場を眺めると、実にたくさんの品種があることに驚かされます。つまり、あの小さな米粒にはそれぞれ個性があるというわけです。こうした個性の中でも、酒づくりに特化した個性を持つ米のことを、酒米(酒造好適米)と呼んでいます。その特徴は、①一般的な食用米と比べて米粒が大きい②中心部に白く見える心白(しんぱく)があることです。近代に入り兵庫県で試行錯誤の末に昭和11年(1936)に名付けられた品種「山田錦」がその代表格にあたります。この山田錦は戦前から現在に至るまで80年を超えて今なお全国の酒蔵で重宝され、酒米の王様とも呼ばれています。
それではここからは、こうした酒米の歴史について見ていきましょう。清酒づくりがはじまる江戸時代の酒米とはどういった米だったのでしょうか。江戸時代の酒づくりの様子を伝える『日本山海名産図会』には、加賀・姫路・淡路・北国・秋田・高槻・淀といった米の産地名が、酒造りを行う時期や工程に即して挙げられています。このように、江戸時代の酒米は品種というより、産地で分類されていました。
江戸時代の終わりごろになると、酒米の産地として摂津国・播磨国が名を馳せます。とりわけ、鳥居米と呼ばれ、下野国(現在の栃木県)壬生藩鳥居家が播磨国加東郡・美嚢郡(現在の加東市・三木市)に与えられていた飛び地領で採れる米は酒米として有名でした。古文書からも、上方の酒造家たちが好んで買い求めていたことを知ることができます。実は現在でもこの北播磨地域は、今や全国で作付けされるようになった山田錦の中でも、最も優れた山田錦の産地として知られています。この地域には、優秀な酒米の系譜が江戸時代から今日まで続いていると言えるのではないでしょうか。
前回ご紹介した宮水と今回の酒米、清酒の原材料であるこれらは、いずれも江戸時代からの歴史があり、今につながっているということをご紹介できたのではないかと思います。歴史ある優れた材料を使った灘の酒をこれからもお楽しみ頂ければと思います。それでは引き続きよろしくお願いします。
酒と桜はいろいろ関係あるんやな