今年4月、笹部新太郎さんの母校である大阪府立北野高等学校(笹部さん在学時は旧制の大阪府立北野中学校)の同窓会で笹部さんとササベザクラに関する講演をさせていただきました(2022年4月2日の六稜トークリレーにて)。現在YouTubeでアーカイブを配信中ですので、よろしければご覧ください。今月は講演つながりということで、笹部さんが桜研究の傍らで行っていた、桜に関する講演についてご紹介します。
まず、講演の実例をいくつか見てみましょう。笹部さんは桜の植樹などでかかわりを持った先でも講演を行いました。昭和12年(1937)頃より大阪電気軌道株式会社(現在の近畿日本鉄道株式会社)の嘱託として、沿線や運営する遊園地(生駒山上遊園地・菖蒲池遊園地)に植樹を行いました。その際、時間を気にせず桜のことを一通り分かるように話してほしいとの要望に応えて、6時間半にも及ぶ講演を行っています。また、同時期に奈良公園の桜の植樹を行っていた際には一問一答形式の講演を行い、聴講の文化人たちとの交流を図りました。
今回は笹部さんが各所で行った講演の中から、昭和12年に「桜に贈る弔辞」というタイトルで行った講演をご紹介します。人ではなく桜に弔辞を贈るというのはあまりなじみのないことかもしれません。しかし、弔辞を贈らなければならないほど日本の桜が悲惨な状況に陥っていることを率直に訴えるのは、桜男たる笹部さんならではの発想です。それでは、講演の流れを見ていきましょう。
まず、山桜・里桜などの古くからある品種が失われ、ソメイヨシノばかりになっているという現状を説明します。当時、山桜・里桜の弱っているものだけでなく、樹勢の盛んなものまでも、成長が早く華々しい花をつけるからという理由でソメイヨシノに植え替えてしまうという動きがあったそうです。
こうした背景には、桜の性質をきちんと理解して、管理できる人がいなくなってしまっている状況があると笹部さんは指摘しました。桜の専門家として知られている当時の学者達は実地の研究を軽視しており、「研究課目が実際の役に立とうが立つまいが兎に角学位が欲しい」(旧仮名遣い・旧字は改めています)という態度であると痛烈に批判しています。
このように笹部さんが述べるのは、自身が桜の演習林・亦楽山荘や桜の苗圃を営み、実地での研究を特に大切にしていたことによると考えられます。そして、不適切な桜の管理が行われた事例として、古くから人々に愛されていた老桜について紹介しています。
あるとき、樹齢約150年の老桜を若返らせるために若木を接木しました。当時は画期的なこととして大々的に報じられましたが、老桜はすぐに枯れてしまったそうです。
最後に、この講演が単なる弔辞に終らず、日本の桜について考え直すきっかけになれば幸いである、自分はできる範囲でコツコツやっていく、と講演を締めくくっています。笹部さんは、実地の研究によって培われた教養と桜に寄り添い続ける情熱によって、数々の植樹事業を行っていきました。単なる桜の研究家ではなく「桜男」と称されたのは、こうした姿勢によるのです。
7月16日(土)より開催する次回のさくら資料室展示では、今回ご紹介したような昭和初期の桜を取り巻く状況の下で活動していた、笹部さんの植樹事業についてご紹介します。このコラムで興味を持って下さった方は、ぜひ展示もご覧ください。
次回もお楽しみに!
秋の夕日に照る山紅葉♪