皆さん、こんにちは。現在開催中の展示、笹部さくら資料室「桜とともに」にてご紹介している笹部さんの桜の植樹事業について、前回に引き続きご紹介していきたいと思います。第2回目の今回は、酒ミュージアムのある西宮が舞台です。
西宮にはいくつかの桜の名所があります。たとえば、大正13年(1924)に完成した越水(こしみず)浄水場には、町長・町議ら(当時の西宮は町制)によって寄贈された桜が竣工当初より植えられていました。昭和23年(1948)からは、水道事業の啓発と市民に観桜の場を提供することを目的として、4月上旬限定で浄水場を一般開放しています。また、昭和24年(1949)には既に見事な松並木を備えていた夙川公園へソメイヨシノを中心に桜が植えられ、桜の名所となりました。
そうした中で、昭和29年(1954)8月4日、笹部さんのもとに友人の浅田柳一さんから手紙が届きました。浅田さんは西宮出身の趣味人で、笹部さんの遺稿の中で「当代稀れにみる寡慾(注:欲が少ないこと)、そしてちょっと類のない肚(はら)のきれいな人」と紹介されるほどの、心を許した大切な友人です。手紙の内容は、辰馬夘一郎西宮市長(夙川公園への桜植樹を考案した人物)が桜に興味を持っているから、市内にある甲山(かぶとやま)の視察に来てほしいというものでした。これを受けて8月10日に笹部さんは、西宮市職員と浅田さんとともに甲山を訪れ、木々の状態を確認しています。その後同月中に、甲山にある神呪寺(かんのうじ)と前述の越水浄水場で農薬散布をはじめとした桜の世話を行いました。
以上のような作業を行いながらも、笹部さんはある不安を抱えていました。笹部さんは、専門的な知識をもって継続して桜の世話を行うことを理想としていましたが、それは部署の異動の多い公の組織では貫徹しがたいものです。笹部さんが各地に桜を植樹する中で、当初の担当者は熱心でも、担当者が変われば桜の扱いがぞんざいになっていくという事態に何度も直面していました。そのような経験があったので、西宮でもきちんと桜の世話が続けられるのか心配していたようです。しかし、西宮市職員は笹部さんの教えを守り続け、徐々に笹部さんと西宮の間に信頼関係が築かれていきました。
そして同年、水道創設30周年を記念した越水浄水場への桜の植樹が正式に笹部さんに依頼されました。植樹にあたって笹部さんは、亦楽山荘や京都府向日町(現・向日市)の苗圃など自身が桜の研究・育成を行っていた場所から桜の苗を運び込みました。また、西宮へより良い桜を集めるために、普段から桜の苗を融通し合っていた東京都の知人の力を借りて、里桜の苗4、50本を送ってもらっています。
植樹作業には同年12月17日から取りかかりました。翌日の神戸新聞では植樹について報じており、それによると約360本もの山桜・里桜が送られています。植樹は年内に完了しましたが、その後も笹部さんと西宮の関係は続きました。越水浄水場へは桜の農薬散布・施肥などのために度々足を運んでいます。その際、浄水場勤務の西宮市職員らに桜の世話について指導も行っており、のちの『西宮市政ニュース』(昭和30年(1955)3月25日発行)では「もし市がこの調子を変へねばこゝ五年も経てばおそらく全国的な存在となろう」と期待を述べています。
笹部さんの活動もあって西宮は市内各地に桜の名所がある町となり、昭和40年(1965)に市の花を決める際には桜が選ばれました。現在でもオリジナル品種の桜を生み出すなどの取り組みが続けられており、市内各所の名所ではソメイヨシノ以外にも様々な品種の桜を見ることができます。山桜・里桜など多様な品種を守ろうとした笹部さんの意思は、現在まで確かに息づいているのです。
次回もお楽しみに!
笹部さんはとても筆まめだったのね…!!