昨年11月まで月一回の更新でしたが、今回から「桜つれづれ」は1月・4月・7月・10月の年4回更新に変更してお送りいたします。今年も引き続きよろしくお願いいたします。
2023年は全4回にわたって、笹部さくらコレクションに収められている作品について、改めて皆さんにご紹介したいと思います。
そもそも、笹部さんがどのような意図から作品を収集していたのか、ご存知でない方も多いのではないでしょうか。笹部さんは桜にまつわる品々を収集することで知識を深めるとともに、自身が桜に興味を持っていることが世間に知れ渡り、まだ見ぬ名桜の情報が舞い込んでくることを期待していました。収集自体が目的だった訳ではなく、今現実に咲いている桜について、より詳しく・広く知るための収集だったのです。一方で、桜にまつわる品々を集めることへの楽しみもあり、収集したときの感想は笹部氏のメモとして残されています。第1回目は書画(書道・絵画の作品の総称)について見ていきましょう。
笹部さくらコレクションの書画の中でまとまって収集されているのは、三熊派(みくまは)の掛軸です。三熊派については以前もご紹介しましたが、江戸時代中後期の約60年間という短い間に三熊思孝(みくましこう)・三熊露香(みくまろこう)・広瀬花隠(ひろせかいん)・織田瑟々(おだしつしつ)という4人の画家が活動しました。三熊派の作品はコレクション内に約70点収められています。
笹部さんは三熊派の始祖である三熊思孝について「芸術のうちに科学を匂わせて、科学の体制を整えた人」と述べ、桜を丹念に観察して描いた姿勢を評価していました。思孝の桜画は高価なものも多かったようですが、「桜の文献蒐集とあっては、これを逸する訳にはゆかぬ」と考え、意欲的に収集していました。中でも、今回ご紹介している〈桜花図〉は「萬朶山房(ばんださんぼう。笹部さんが自身のコレクションにつけていた名前)所蔵桜文献中の逸品」と入手を喜んでいます。絵の具の濃淡によって桜の花を立体的に表現しており、桜を丹念に観察して描いた思孝の本領が発揮されている作品といえるでしょう。
三熊派以外の書画も様々あり、以前ご紹介した林洞意(はやしとうい)の〈御殿山花見酒宴図〉もその一つです。笹部さんは「林洞意と云ふのはどのやうな人か不明」としていますが、林洞意は絵金(えきん)の通称でも知られる土佐藩(現在の高知県)出身の弘瀬金蔵(ひろせきんぞう)という画家です。洞意は土佐藩家老のお抱え絵師を一時期務めていたことがありました。この絵を描いた林洞意の素性が明らかになると、描かれた御殿山との関係が見えてきます。御殿山は現在の東京都品川区にあり、同区には土佐藩の下屋敷がありました。下屋敷は、国元(くにもと。大名の領地のことで、この場合は土佐藩)から送られてきた物資の保管や藩主家族の別邸・遊興の場としても使われた場所です。洞意は土佐藩10代藩主・山内豊策(とよかず)の娘の一行に従って江戸に行き、狩野派を学んだとされています。そうした経歴の洞意にとって、土佐藩下屋敷に近い御殿山での花見の風景はなじみ深いものだったのかもしれません。
今回は書画の特集ですので、書の作品もご紹介しておきましょう。〈花字蝶図〉(かじちょうず)は、一見すると《花》という一字が書かれているのみですが、じっくり見ていると《花》の右側に蝶が描かれていることに気づきます。《花》の字と蝶のみが掛軸上に表現されているシンプルな作品ですが、咲き誇る花の上で羽を休める蝶が想像されるのは、作者である呉春(江戸時代中後期の画家。四条派の祖)の技によるものでしょう。
この他にも笹部さくらコレクションの書画には、桜を詠んだ和歌や漢詩を書にしたためたもの、地方の桜の由来を記した碑の拓本(石などに彫った文字や模様を、墨で写し取ったもの)などがあります。3月18日(土)から開催予定の春季展では三熊派の桜画を多く展示する予定ですので、楽しみにお待ちいただければ幸いです。
次回の更新は4月になります。お楽しみに!
左近の桜っていつ頃からあるのかしら?