皆さん、こんにちは。暖かい日が続き、今年は桜が早々に咲き始めましたね。現在、酒ミュージアムでは、春季展を開催中です。以前の桜つれづれでご紹介した三熊派の掛軸を中心に、実際の桜とは違った味わいを見せる桜画を展示中です。展示は5月28日(日)まで開催していますが、4月24日(月)に展示替えを行いますので、現在展示中の作品を見られるのは今だけです。お見逃しなく!
さて、春季展の主役となっている掛軸など書画に分類される作品は、220点ほど笹部さくらコレクションに収められています。それに対して、版画に分類される作品は420点ほど。今回ご紹介するような名所絵図から、錦絵、笹部さん自身が制作した印刷物まで、多種多様な作品が収められています。
版画に分類される作品の中には、特に名所絵図が数多く収められています。江戸時代、五街道を中心とした交通網が整備されたことによって人々の移動が容易となり、参拝・湯治・観光などに出かける人々もあらわれました。そうした中で、各地にある名所=観光地を取り上げる版画は人気を博したのです。
そうした版画には、各名所の見どころなどが記されています。たとえば、森川杜園(もりかわとえん)が描いた「奈良都春秋景色之図」は、一枚の中に奈良の春と秋の風景を表現し、桜と紅葉の名所を紹介するという一風変わった摺物です。
この版画とあわせて考えると、面白い資料が笹部さくらコレクションに収められています。それが現在も奈良の興福寺の南側、猿沢池近くにある植桜楓碑に関する資料です。収められているのはこの碑の拓本で、「奈良都春秋景色之図」にも「桜楓碑文石」という名前で載っています。
この碑は、ロシア使節のプチャーチンと交渉して日露和親条約を結んだ川路聖謨(1801~1861)が奈良奉行を務めていた際(1846~1851)に、奈良の桜や楓の由来について紹介したものです。
この碑によると、奈良の中心部に植えられていた数千本の桜が宝暦年間(1751~1764)に枯れてしまいました。その後、聖謨の奈良奉行在任中に、かつての景観を取り戻したいと考えた奈良の人々の手によって、興福寺・東大寺へ数千本の桜と楓が植えられました。このことを碑に記して後世に伝えるために、碑の銘文の執筆が聖謨に依頼され、碑が建立されたということです。その拓本が取られ、笹部さくらコレクションの中に収められています。
「奈良都春秋景色之図」は明治9年(1876)に出版されたものですので、聖謨が紹介している移植事業以後の様子を描いたものになります。聖謨が桜・楓の植樹先として挙げている興福寺・東大寺も「花之名所」として見え、植樹以後、名所として定着している様子がうかがえます。
「奈良都春秋景色之図」のように、桜の名所の来歴・ありし日の姿を描いた版画を笹部さんは収集し、全国に古くからある名所について調べようとしていたと考えられます。
版画として収められている資料の中には次のような作品もあり、桜を楽しむ人々の様子が描かれています。江戸時代の桜を理想と考えていた笹部さんは、こうした作品たちから花見を楽しむ人々の風俗も知ろうとしていたのかもしれません。
次回は7月の更新になります。お楽しみに!!
桜の研究家として、笹部さんが本格的に活動していた時期のことね!