皆さん、こんにちは。今回は現在開催中の笹部さくら資料室「桜の世界史」(~3月6日(日)まで)についてご紹介します。
「桜の世界史」というタイトルをご覧になって、「世界史と言うけれど、日本以外に桜は咲いているの?」と疑問に思われた方も多いのではないでしょうか。実は、桜という植物自体は北半球の温帯を中心に広く分布しており、決して日本だけのものではありません。今回の展示では、桜を接点とした笹部新太郎さんと海外の関係についてご紹介していきます。
笹部さんと海外の関係ということで、イギリスのコリングウッド・イングラム(1880~1981)という人物をまずはご紹介したいと思います。新聞事業で財を成した家に生まれたイングラムは、何度か訪日するうちに欧米ではあまり知られていない「桜」に興味を持ち、研究を始めました。そこから数多くの品種を収集し、大正6年(1926)には100種以上の桜を自邸の庭に栽培するまでに至ったとされています。同年、東京の「桜の会」(桜を国花として保護・普及することを目的とした会。発起人に渋沢栄一、顧問に三好学などが名を連ねています)で日本の桜の状況に関する講演を行ったイングラムは、日本の桜の名所と呼ばれる場所であっても、そこに植えられている木の状態が良くないことなどを指摘しています。
笹部さんとイングラムの間に交流があったことは確認できていませんが、笹部さんの蔵書の中にはこのときのイングラムの講演を掲載した雑誌『桜』(展示中)が収められており、その内容は把握していました。同じく日本の桜の現状に危機感を持っていた笹部さんは、数回の訪日で自身と同じことを考えていたイングラムの提言を強く意識していたと考えられ、講演や原稿の中で度々イングラムに言及しています。
また、笹部さんは洋書も積極的に収集しながら研究を進めており、桜のために必要な資料や文献は国内外問わず活用するという態度であったことが分かります。展示では、桜の種を運んでくれる野鳥や、その巣箱に関する洋書を購入する際に交わされた出版社との書簡や洋書の一部も展示しています。
また、ご存知でない方も多いかもしれませんが、アメリカ合衆国の首都・ワシントンD.C.では毎年春に全米桜祭りが開催されています。
その際に愛でられている桜は日米友好の証しとして、明治45年(1912)に尾崎行雄東京市長(当時)から贈られました。ここまでの出来事には笹部さんは関係していませんが、太平洋戦争を経た昭和25年(1950)に、日米親善のために桜の文献等のコレクションをアメリカに寄贈する意思はないかと、尾崎行輝(行雄の四男)を通して渡米中の尾崎行雄から打診されています。笹部さんはコレクションを贈ることはせず、代替案として桜の苗木の寄贈を提案しましたが、尾崎行雄の帰国と行き違いになり計画が実現することはありませんでした。
このように、ワシントンD.C.へは笹部さんの桜は贈られることはありませんでしたが、昭和39年(1964)にポーランドのショパンの生家へ苗木が寄贈され、笹部さんの育てた桜は海を渡ることになりました。
この他にも展示では、日本の桜の状況を知ってもらおうと、昭和28年(1953)に笹部さんがハーバード大学・造園科長に宛てて書いた文章なども展示しています。次回もお楽しみに!!
色鮮やかな版画は、掛軸とは違った楽しみがあるわね!