こんにちは、本日から酒ミュージアムのホームページが新しくなり、いよいよ酒トークが始まりました。今後は毎月1日に記事をアップしていきますので、よろしくお願いします。
さて、今回は初回ということで、自己紹介を兼ねて酒ミュージアムがある西宮についてご紹介します。
西宮は、兵庫県の南東部にあります。
阪神電車の大阪梅田駅・神戸三宮駅の間にあり、西宮駅へは特急に乗ればそれぞれ約15分で到着するので住みやすい町としても知られています。
そんな西宮には有名な物が3つあります。
1つ目はプロ野球阪神タイガースの本拠地や高校野球の舞台として知られる阪神甲子園球場(酒ミュージアムから車で約10分)。
2つ目は「えべっさん」と親しまれ、1月10日の福男選びでも有名な、えびす宮総本社の西宮神社(酒ミュージアムから車で約5分)。
そして3つ目は、江戸時代から続く日本酒産業です。
それでは、この西宮のまちと日本酒の関係について、ご紹介していきましょう。
そもそも西宮は、現在に負けないくらい昔から交通に便利な場所でした。というのも、中国地方から京都へ向かう西国街道と大阪へ向かう中国街道という大きな道の分岐点で、多くの人々が集まりました。
また、古代から信仰を集めた西宮神社の門前町としても栄え、周辺がまだまだ農村であったのに対し、西宮は早くから町として栄えていました。
そんな西宮で酒造りが始まったのは、江戸時代初期で遅くとも1640年頃と考えられています。1600年頃に西国街道を北東に進んだ伊丹で日本酒造りが始まり、西宮にもその造り方が伝わったと考えられています。
ちなみに、室町時代に時の関白一条兼良が随筆『尺素往来』の中で「西宮之旨酒」と記していることから、西宮では江戸時代以前から酒造りをしていたのでは?と質問を頂くことがあります。現状、『尺素往来』以外にそのことを語る史料は見つかっていませんが、十分考えられることだと思います。
しかし、この室町時代の酒は濁り酒と考えられ、伊丹から伝わった酒は現在の日本酒の源流となる清酒でした。つまり、品質が全く別物であるため、西宮の日本酒造りは1640年頃には始まっていました、とご紹介しています。
さて、伊丹で発明された日本酒(清酒)は、これまでの濁り酒と違い新しい酒として、特に江戸で人気を得ました。そのため、西宮で造られた日本酒も大半が江戸で販売されることになります。大市場江戸を手に入れたおかげで、西宮や伊丹、現在灘五郷と呼ばれる周辺地域の日本酒産業は発展の道を歩み、日本一の日本酒産業地域の地位を築いたのでした。
酒税が1番の時代があったんやで!