西洋技術と辰馬喜十郎

2024.11.01

 こんにちは。少しは秋らしくなってきたでしょうか。いよいよ今月からは日本酒造りのシーズン到来です。今年の新酒が早くも楽しみでなりません。さて、今回も酒トークでは、引き続き酒資料室「西宮・今津の酒造家オールスター」展に関連して酒造家のご紹介です。今回取り上げるのは、明治時代の酒造りに西洋技術を積極的に導入した辰馬喜十郎です。

辰馬喜十郎

 喜十郎も前回ご紹介した悦蔵同様、辰馬本家から分家した人物で、悦蔵の起こした家を北辰馬家、喜十郎が起こした家を南辰馬家と呼んでいます。明治時代に南辰馬家の当主となった喜十郎は、レンガで酒蔵を建築したり、精米の動力に蒸気機関を導入したり、燃料に石炭を使用したり、科学的知見を日本酒造りに活かす醸造研究所を設立したりと、積極的に日本酒造りに西洋技術を取り入れて近代化に導きました。

辰馬喜十郎のレンガ蔵

 喜十郎の業績はこれに止まらず、灘地域では史上初の酒造業を専門とする会社や酒造家のための銀行を立ち上げました。明治20年(1887)喜十郎は、西宮の他の酒造家とともに共同醸造会社を創設し、その後すぐ日本摂酒株式会社に改称して灘五郷の中でもトップ10位以内の製造石数(生産量)を誇る酒造会社へと育てます。この日本摂酒の躍進を支えたのは、同じく辰馬喜十郎が頭取を務めた酒造家のための銀行、恵美酒銀行でした。日本摂酒は恵美酒銀行からの融資で西洋式の設備を調え、恵美酒銀行は日本摂酒という優良な貸付先を得るという好循環を生み出していました。喜十郎が明治42年(1909)に亡くなった後も順調に経営が行われましたが、戦時中の国策により日本摂酒株式会社は無くなり、恵美酒銀行は神戸銀行(昭和11年に政府の1県1行の方針の下、西宮銀行や灘商業銀行等酒造家と関連のある銀行7行が合併して誕生)と合併して消滅しました。

右下の赤枠が日本摂酒会社、その北西には恵美酒銀行がありました。

 ちなみに、西宮では日本摂酒以外にも明治時代に酒造会社が誕生しています。その会社は、日本盛株式会社の前身となる西宮企業会社です。明治22年(1889)に西宮の酒造家が集まって設立され、明治29年(1896)に西宮酒造会社へと改称し、日本摂酒と恵美酒銀行の関係のように、西宮銀行と連携して大きな会社へと成長しました。平成12年(2000)には日本盛株式会社へと改称されています。11月18日まで開催中の「西宮・今津の酒造家オールスター」では明治29年に西宮酒造会社3代目社長となった森本甚兵衛さんの業績もご紹介しています。酒トークと合わせて、展示も是非ご覧ください。それでは来月もよろしくお願いします!

酒くん

酒造りの奥深さを、存分にお伝えするで。

桜子ちゃん

お酒にも、桜と同じように人に愛されてきた歴史があるのね。