皆さん、こんにちは。今年は例年になく早い梅雨明けでしたね。コラムでも以前ご紹介した笹部新太郎さんの桜の演習林・亦楽山荘(えきらくさんそう)へ梅雨入りする直前に行ってきました。今回は笹部さんが書いた『亦楽山荘記録』の記事とともに、そのときの様子をご紹介したいと思います。
亦楽山荘は兵庫県宝塚市の武田尾にあり、現在は「桜の園」という名前でも親しまれています。今回は、普段管理されている櫻守の会の方に特別にご案内いただきました。
亦楽山荘へはJR宝塚線の武田尾駅が最寄り駅です。駅から武庫川沿いを歩いて、昭和61年(1986)まで運行していた国鉄・福知山線の廃線敷に入ります。笹部さんが亦楽山荘に通っていた大正末年から昭和半ばにかけては、汽車に気をつけながら線路の上を歩いて向かったようです。
武田尾駅から亦楽山荘に向かう場合は2つのトンネルを抜ける必要があり、『亦楽山荘記録』でも図示されています。
廃線敷を通り、駅から歩いて20分ほどで亦楽山荘の入り口に到着します。写真のような看板が立っているので、すぐにお分かりいただけると思います。
山に入っていくと写真のような石段を至る所で見つけることができます。あまりにしっかりした作りですので里山公園として整備されたときの物であると思い込んでいましたが、櫻守の会の方によると、管理を始められたときには既にあったそうです。つまり、この石段は笹部さんの時代に設置されたものになります。
『亦楽山荘記録』を見てみると、亦楽山荘の本格的な整備を開始して程ない昭和初期頃に、確かに石段設置の記事が見られます。山内は急こう配な場所も多く、写真のような石段は移動の利便性を向上させるために各所に設置したもののうちの一つであるかもしれません。
笹部さんが残したものは他にもあります。それが現在「隔水亭(かくすいてい)」と呼ばれている施設です。 隔水亭は笹部さんが山内で作業する際に拠点としていた建物で、亦楽山荘に通い始めた昭和の初め頃には既にあったことが『亦楽山荘記録』から確認できます。しかし、昭和13年(1938)に発生した阪神大水害で流されてしまいました。そうした経緯から、写真の施設は隔水亭ではありませんが、さくらコレクションに残された写真から笹部さんの時代に建てられた倉庫であることが分かっています。
最後に、笹部さんの残した桜についてご紹介します。『亦楽山荘記録』には実生や接木によって多くの桜を育てていたことが記されており、全盛期の亦楽山荘に植えられていた桜の正確な本数をご紹介するのが困難なほどです。しかし、そうして育てられた桜の多くは、笹部さんが亡くなって後は管理する人がいなくなったために枯死したと思われます。現在では、笹部さんが育てたと考えられる樹齢の桜はエドヒガンが約10本、ヤマザクラが約40本、園内の「桜坂」と呼ばれる場所を中心に見られるそうです。これを今でも見ることができるのは櫻守の会の皆様の活動の賜物ですので、訪れた際はぜひ注意深く観察してみてください。
以上、櫻守の会の方にご案内いただいたスポットを『亦楽山荘記録』と照らし合わせながらご紹介してきました。笹部さんの桜研究の拠点となった亦楽山荘に興味を持っていただけたでしょうか?
山内は急こう配な場所も多いので、実際に訪れる際はご注意いただければと思います。また、特にこれからの季節は暑くなりますので、適切な水分補給を心がけながら散策をお楽しみください。
次回もお楽しみに!
笹部さんの生涯の出発点を探ってみましょう!