笹部さんと桜の名所③ 荘川桜

2022.11.15

 皆さん、こんにちは。現在開催中の笹部さくら資料室「桜とともに」もいよいよ11月20日(日)までとなりました。笹部さんの自筆記録を多く展示し、各地での桜の植樹・移植についてご紹介していますので、ぜひお見逃しなく!

 さて、笹部さんが関わった名所紹介を3回にわたってお届けしてきましたが、今月でいったん一区切りです。今回は荘川桜(しょうかわざくら)の移植事業についてご紹介します。以前のコラムでも移植作業の概略にふれていますので、ぜひそちらもご覧ください 。

 荘川桜とは、岐阜県高山市荘川町の御母衣(みぼろ)湖のほとりに咲いている2本の桜の総称で、それぞれ元々植えられていたお寺の名前にちなんで、光輪寺桜・照蓮寺桜と名づけられています。どちらも品種はエドヒガンで、長命で巨木になる品種として知られており、荘川桜も樹齢約450年とされています。高山市は酒ミュージアムのある西宮よりも寒いので、4月下旬~5月上旬のゴールデンウィーク頃に花は見ごろを迎えます。

 それでは、なぜ2本の桜は移植されることになったのでしょうか。時はさかのぼり昭和27年(1952)、太平洋戦争後の経済復興を目指して、日本は安定した電力の確保に取り組んでいました。そのため、庄川水系(岐阜県高山市烏帽子岳から北流して富山湾に注ぐ川)を利用する御母衣ダム建設が計画されました。

御母衣ダム建設計画パンフレット(表紙はダムの建設想定図)

 御母衣ダム建設によって、建設予定地にあった荘川村・白川村の2村はダムの湖底に沈んでしまうことになり、住民は故郷を離れることになりました。それに際して、ダム建設を主導していた電源開発株式会社の初代総裁であった高碕達之助さんが、移住を余儀なくされる住民の心の支えになるようにと、水没予定地で発見した光輪寺桜の移植を計画しました。この前例のない事業を行うために、笹部さんを「日本唯一の桜博士」(高碕達之助著「湖底の桜」(『文藝春秋』昭和37年8月号)より)と見込んだ高碕さんが、移植を依頼しました。

移植前の光輪寺桜と高碕さん

 当時73歳だった笹部さんは高血圧に悩まされながらも移植を指導し、下見や作業に際しては御母衣を訪れています。下見の際には照蓮寺桜を発見しており、笹部さんの提案によって光輪寺桜とともに移植することになりました。笹部さんが下見を行ったことで、後に荘川桜と呼ばれる2本の桜が移植されることになったのです。

 また、実作業では根掘(こ)じと根巻の際に現地を訪問しており、桜をしっかり保護して運ぶ準備を整えていることを確認しています。他にも、降雪によって当初予定していた桜の運搬路と移植先が使えなくなった際には、現地で選定した候補地の確認を依頼する書簡が笹部さんに届いています。

 このように、荘川桜の移植にあたっては、折にふれて笹部さんの桜研究の経験が重要視されていたことが分かります。

 造幣局や西宮など各地に桜を植樹した笹部さんは、晩年に荘川桜の移植という一大事業を指導しました。今にまで残るこれらの名所からは、日本古来の山桜・里桜の多様な品種を保護するために努力を惜しまなかった笹部さんのひたむきな姿勢を感じることができます。

水没記念碑除幕式で高碕さんが詠んだ歌「ふるさとは 水底となりつ うつし来し この老桜 咲けとこしへに」

 最後に今後の桜つれづれ更新スケジュールに関してお知らせがございます。これまで、毎月15日更新としておりましたが、更に内容を充実させるため、来月よりスケジュールを変更して年4回の更新とさせていただきます。次回の更新は2023年1月15日となりますので少し期間が空いてしまいますが、楽しみにお待ちいただけますと幸いです。

酒くん

笹部さんの桜への愛は、ぼくの酒への愛と通じるものがあるな。

桜子ちゃん

桜を取り巻くあらゆることに、興味をもってくださると嬉しいわ。